山部赤人『万葉集』巻六923-5
やすみしし 我ご大君の 高知らす 吉野の宮は
たたなづく 青垣隠り 川なみの 清き河内ぞ
春へは花 咲きををり 秋されば 霧立ちわたる
その山の いやしくしくに この川の 絶ゆることなく
ももしきの大宮人は 常に通はむ
反歌二首
み吉野の象山の際の木末にはここだも騒く鳥の声かも
ぬばたまの夜の更けゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く
叙景歌を得意とする赤人は、混沌とした自然を一定の秩序の下に構成し、合理的な歌の空間を作り上げています。この歌も、左記のように「山」と「川」、「春」と「秋」が対となって構成され、反歌一首目が「山」で二首目が「夜」「川」を詠んでいるため、一首目が「朝」の景であることが暗示されているのです。
たたなづく 青垣隠り 山 |
川なみの 清き河内ぞ 川 |
春へは花 咲きををり 春 |
秋されば 霧立ちわたる 秋 |
その山の いやしくしくに 山 |
この川の 絶ゆることなく 川 |
み吉野の象山の際の木末には 山 |
ここだも騒く鳥の声かも (朝) |
ぬばたまの夜の更けゆけば 夜 |
久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く 川 |
こうした赤人の合理的な空間構成は、自然と人間の新たな関係をしめすものであり、全国に国司を派遣し統括する中央集権国家体制、全国に国分寺国分尼寺を配し本山を東大寺とする国家仏教体制、条里制の合理的な都市計画などと無縁ではありません。当時の支配者層・知識層に見られる時代感覚と云えましょう。このように、世界をシンメトリーに、あらゆるものを見えるものとして網羅する感覚を古代網羅主義とよぶことにしましょう。
興福寺西金堂は天平六年(734) 聖武天皇の后、光明皇后は実母である橘三千代(藤原不比等夫人)の一周忌に建立されました。
幾度となく火災に見舞われ、既に堂は現存せず本尊も失っているが、幸いにも堂内諸像の十数躯が苦難の時代を経て現存しています。
堂内は釈迦如来坐像の周りを脇侍二躯、十大弟子、八部衆、梵天、帝釈天、など多くの諸像がとり巻く浄土変相の躰をなしていたと思われます。
創建当初の様は「興福寺曼荼羅」が想像を助けてくれます。
この内、十大弟子は六躯が現存し、八部衆は五部浄は下半身が失われているものの八躯全てが現存しています。
これら諸像はいずれも童顔でありながら、その豊かな表情には各像に微妙な変化が認められます。
以下、本試論は西金堂の釈迦浄土変相諸像の構成に何らかの秩序がありはしないか、わけても先に述べた古代網羅主義的表現が認められないか検討するものであります。
まず八部衆は正面を向いた像と左を向いた像とに分けることができます。(左右とは像自身、本尊から見ての左右で、向かって右左ではありません)
沙羯羅・迦楼羅・緊那羅が左を向いています。
これら四躯の像は左向きであるがゆえ、本尊の右に位置していたことがわかります。
現存する旧西金堂諸像は表情が豊かであり各像の個性をも表現しようとしています。各像の表情、年齢の差異も何らかの秩序に根差した表現を目指したものと推察されます。
その手掛かりとして、八部衆を陰陽に分類してみましょう。
ただし、表情からの判断は実証性に欠ける恐れがあり、できるだけアトリビュートから判断したいとおもいます。
迦楼羅は空を丸く飛ぶ鳥として陽に加えました。沙羯羅は頭部の蛇が陰を示します。緊那羅の一角は男性を象徴し陽、五部浄は愁いある表情から陰、乾闥婆は閉じる眼から陰、鳩槃荼は激昂する表情から陽、畢婆迦羅は髭が男性を象徴するところから陽、阿修羅の表情の愁いは特に左右の面が顕著に表れ陰に分類しました。
年齢を仮に少年、青年、壮年に分類すれば沙羯羅・五部浄が少年、阿修羅・乾闥婆が青年、緊那羅・畢婆迦羅が壮年となるでしょう。迦楼羅・鳩槃荼は異形のため年齢の判断は困難です。
以上を根拠に「興福寺曼荼羅」のごとく本尊の左右に五躯ずつ配置するものとすると表一のようになります。正面向きの阿修羅が右側としたのは「興福寺曼荼羅」の右側後方にそれらしき像が確認できるからです。
表一に見るように、これら分類尺度が矛盾なくシンメトリーを保ち配置されていた様子がうかがわれます。
「興福寺曼荼羅」西金堂の図には本尊釈迦如来坐像を中心に諸像の姿が確認できますが、各像の名称を特定するには図が小さく困難です。
http://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kaiga/butsuga/item04j.html ⇒京都国立博物館HP(興福寺曼荼羅西金堂の部分)
わずかに、本尊後方右の二躯が異形であるため、右から(外側から)迦楼羅・阿修羅であることが確認できます。阿修羅のように横幅を占める像は後方に位置するのが相応しく、この図の信憑性の高さを示すものと思われます。本尊の右側には前方に沙羯羅らしき像が描かれています。とすれば沙羯羅の後方の天部像は左を向く緊那羅以外にあり得ません。
表1 八部衆
像名 | 別像名 | 保存 | 向き | 陰陽 | 年齢 | 位置 | 備考 | |
1 | 沙羯羅 | 龍衆 摩睺羅迦 | ○ | 左 | 陰 | 少 | 右 | 蛇・龍王 |
2 | 阿修羅 | 阿修羅衆 | ○ | 正 | 陰 | 青 | 右 | 憂い |
3 | 迦楼羅 | 迦楼羅衆 | ○ | 左 | 陽 | - | 右 | 鳥 |
4 | 緊那羅 | 緊那羅衆 | ○ | 左 | 陽 | 壮 | 右 | 一角 |
5 | 五部浄 | 天衆 優鉢羅竜王 | 胸頭部 | 正 | 陰 | 少 | 左 | 憂い |
6 | 乾闥婆 | 乾闥婆衆 | ○ | 正 | 陰 | 青 | 左 | 閉じる眼・音楽香 |
7 | 鳩槃荼 | 夜叉衆 | ○ | 正 | 陽 | - | 左 | 激昂・鬼 |
8 | 畢婆迦羅 | 摩睺羅伽衆 | ○ | 正 | 陽 | 壮 | 左 | 髭・音楽・馬 |
同様の方法で十大弟子も配置がなされていたはずであるが、残念なことに十躯のうち四躯が失われているため、八部衆のように配列を推察するのは困難です。「興福寺曼荼羅」には十大弟子とは別にもう一躯童子形の羅睺羅が本尊の右手前に見られます。さらに現在羅睺羅とよばれている像は目を閉じており、盲目の阿那律ではないかという説があり、配置を特定するには容易ではありません。今しばらく時間をかけ検討させて下さい。
つづく